Online Shop Zippo Time

ビンテージ・ジッポー専門店!珍品・レア物・満載。Zippoマニア必見!!10,000以上お買上で送料無料。(沖縄県・離島を除く)



全アイテムのご紹介

ポストカード【ZIPPO】

​1997-Tin Toy Robot Zippo Photo by Tomoaki Tsuruda Published by WORLD PHOTO PRES

小倉百人一首 蝉丸 【ZIPPO】

蝉丸は平安時代前期の歌人、音楽家。「小倉百人一首」にその歌が収録されていることで知られていますが、その人物像は不詳とされています。逢坂の関に庵をむすび、往来の人

ディズニー腕時計【 Club Super Dancin’ Mania】

Disco Fever 東京ディズニーランド購入品。

1985年 プレーン(無地)デカ・スラッシュ(フラットボトム)【ZIPPO】

フラットボトム初期のイタリックZIPPO刻印&逆デカ・スラッシュ刻印は、コレクターズアイテムです。(お探しの方如何ですか)

Caca-Cola 50TH ANNIVERSARY 【ZIPPO】

50TH ANNIVERSARY 1903-1953 BRUNSWICK Coca-Cola BOTTLING CO.

金箔調古代紙・金箔調・銀箔調 3個組【ZIPPO】

金沢の箔職人が、手作業により丁寧に張り上げたライターです。

Football Club クリスタルパレス【ZIPPO】

​CRISTAL PALACE Football Clubは、イギリスロンドンに本拠地を置く、サッカークラブ。 愛称は、THE EAGLES。

SEXY GIRL 24【ZIPPO】

​セクシーな女性がプリントされたライターです。

S.T.Dupont LINE 1L【デュポン】

ライン1L(ラージサイズ)は、デュポン社製造ラインの1号で「ファーストモデル」です。(1960年販売・現在は製造していません)普段使いに、また「コレクション」と

プレーン ブラッシュ・クローム【ZIPPO】

PLANE ZIPPO 




 

ジッポー!ア・ラ・カルト

ジッポー社初の「周年モデル」25th Anniversary

ジッポー社初の「周年モデル」25th Anniversary

世界⼤恐慌の嵐が吹き荒れていた1932年、⽯油採掘産業と共に栄えてきた街・ペンシルバニア州ブラッドフォードで、将来有望なビジネスとしてライターの製造販売を⾒込んでいた若き⽇のG.G.ブレイズデルは、街の⼀⾓にあったビルの2階、リッカーソン&プライド社の⼀⾓を間借りした⼩部屋で、⼆⼈の従業員と共にささやかにZIPPO社を⽴ち上げた。その後、第⼆次世界⼤戦、朝鮮戦争などを通じ「軍需物資としてのオイル・ライターの供給」を続けることで会社は成⻑し、やがて戦後の⾼度経済成⻑の波を受ける中で、創業25周年を迎える1957年頃には、ZIPPO 社はブラッドフォードで最も⼤きな企業へと成⻑し、地元の経済基盤を⽀える中⼼の役割を果たすまでの成⻑を遂げていた。それまでに、通算4200万個を超えるライターを製造・出荷し、街中の4つのビルに事業所を構え、従業員も300⼈近くに膨らんでいた。創業時からのポリシーであった「永久保証」も広く認知され、この頃までにブラッドフォード本社のクリニックには200万個を超えるライターが修理の為に送られてきていたと云う。このエピソードからしても、ZIPPO社の事業規模がいかに拡⼤していたのかを伺うことが出来るだろう。(コメントは、FEEF Newsletter #38 より、引用させて頂きました)

IVORY(象牙)

IVORY(象牙)

浅草 柘製作所 本象牙「実方」 6面加工。

ZIPPOのある風景

ZIPPOのある風景

ニューヨークのたばこショツプ 1950年代情緒が、ありますよね。

ZIPPO STORY

ZIPPO STORY

ジッポーが生まれたのは、アメリカ全体が苦しみ、もがいている時期だった。1929年のニューヨークでの株式市場の異常に端を発した世界大恐慌のあおりを受け、空前の大不景気。こうした状況の中、1932年に美しい森に囲まれたペンシルバニア州ブラッドフォードの町でジッポーは産声をあげた。開発者の名前はジョージ・グランド・ブレイズデル。パーティー会場で友人がオーストリア製の扱いづらいオイルライターを使っているのを見たのがきっかけだった。ブレイズデルのひやかしに、友人が「It Works:火がつけばいいんだよ」と返した。その言葉に、ブレイズデルは強い衝撃を受ける。そして「安いうえに性能がよく、丈夫で長持ちするライターは商売になる」と考え、すぐさまライター会社の独占販売権を獲得する。しかし、彼はこのライターに物足りなさを感じ、得意にしていた製造技術を活かして、新しいライター作りに取りかかりはじめた。設備の整わない自動車工場での製作だったが、情熱を注ぎこみ日夜ライター作りに励んだ。こうして、角張った長方形のスタイル、そして片手で着火が可能なライターが完成した。そのライターの名は「ジッポー」。同じペンシルバニア州で発明された「ジッパー」の音の響きを気に入っていたため、これをもじったのだ。ブレイズデルは会心の出来栄えに「自分が生きている間、このライターは変わらないだろう」と力強く断言した。

Im.memory Ernie Pyle 1945

Im.memory Ernie Pyle 1945

アーニー・パイルは戦場の兵士の生の声を伝える従軍記者として、最も評価されたジャーナリストです。ジッポー社創業者「G.G.ブレイズデル」は、彼のコラムの愛読者で、アーニー・パイルも「ジッポー」が大好きで、コラムでジッポーの事を書き、その中でブレイズデルを「ミスター・ジッポー」と呼びました。ふたりは1度も顔を合わせる事はなかったが、手紙を通じて「親交」を深めていました。1945年、ブレイズデルはアーニー・パイルの追悼の意を込めて、アーニー・パイルが最後に乗船していた「軽空母キャボット」の乗組員に記念のジッポーを贈っています。