Zippo Chronicle (年代記)
年代 | 詳細 |
---|---|
1895年 |
6月5日、Zippo創業者のジョージ・グラント・ブレイズデルが、米ペンシルバニア州ブラッドフォードに生まれる。
|
1932年 |
ブレイズデルが「Zippo Manufacturing Company」を設立。
ブラッドフォードのダウンタウンにあるリッカーソン&ブライド社のビル2階に、工房を設ける。 |
1933年 |
ジッポーライター(ファースト・モデル)の発売開始。価格は1ドル95セントで、当時から永年保証も謳われていた。
|
1934年 |
片手で着火できる「ポケット・ライター」として、パテントを申請する。
|
1935年 |
ジッポーライターが、企業のノベルティ用としての需要が拡大。初めての受注先はジッポー社と同じ「ブラッドフォード」にある、ケンドール社(自動車用オイルメーカー)から「500個」受注製造し、翌年1936年にも、ヒンジの形状が変わった(4バレル・インサイドヒンジ)ジッポーを、同じケンドール社から「500個」受注する。
|
1936年 |
1934年5月に申請した特許が承認される。(PAT.2032695 MADE IN U.S.A.)※Zippo社初の特許。
この年に、スターリング・モデルを発売。 |
1937年 |
ジッポー社、初の全国広告を「エスクァイア誌」に出稿。ジッポーライターの成型を確立した1937年型モデルを発売。
|
1938年 |
ブラッドフォードのバーバー通りに自社ビルを購入。それまでガラス瓶に入っていたオイルが、缶入りとなって発売。
初の卓上ライター 「デラックス・テーブル・ライター」を製造、1939年発売開始。 |
1941年 |
現行モデルの原型となる、角の丸い「ラウンドコーナー・モデル」とも呼ばれる「1941年型」を発売。(このモデルは2001年に復刻される)
|
1942年 |
第2次世界大戦に伴う物資不足のため、ケースの素材が真鍮からB級スチールに変更。サビ止めとしてブラック・クラッケル塗装したモデルが登場する。以降3年間、軍用のみ販売。通算製造個数「100万個」を達成。
|
1943年 |
米軍への納入を開始。将軍だった「アイゼンハワー」や「マッカーサー」からも賞賛される。
|
1946年 |
フリント・ホイールの故障により「6週間」出荷を停止し、30万ドルを掛け開発に着手。ボトムが凹型の「キャンド・ボトム」が登場。
|
1947年 |
宣伝用車両として後に名を馳せる「Zippoカー」がデビューする。通算製造個数「1000万個」を達成。
|
1948年 |
ケースの素材が本来の真鍮に戻る。
|
1949年 |
オンタリオ州、ナイアガラの滝近くに「カナダ工場」を新設。タウン&カントリー・シリーズを発売。(1948年開発)
|
1950年 |
ブレイズデル、両親の名を冠した社会福祉事業「フィロ&サラ財団」を設立。
1950年に、ブラスケース全体をレザーで包まれた「フル・レザーラップ」が登場、すべて「ハンドメイド」の仕上がりで、手間が掛かり過ぎた為に、翌年「1951年」には製造中止された。 |
1951年 |
朝鮮戦争勃発により、1954年まで「スチール製」モデルを製造。初のフリント・ディスペンサーを発売。
|
1953年 |
ボトム刻印の特許番号を「#2517191」に変更、通称:フルスタンプ。(正式認可は1958年)
|
1955年 |
それまでと同じバーバー通りに新本社ビルが完成。一部のライターに製造コードが刻印される。ボトムのロゴがイタリック体に。(カリフォルニア州にディズニーランド開園)
|
1956年 |
スリム・モデルが登場。開発の為に「インサイド・ユニット」を様々に改善する。1956年の発売初期だけ通称「コブラヘッド」と呼ばれる「ホイールガード」が付いていましたが「着火性能」に問題があり、すぐに取り去られた。因みにレギュラーサイズのコブラヘッド(商品コード#6690:1955年製)は、テストサンプルとして作られ、現存するのは世界でも数個と云われています。
|
1957年 |
創業25周年記念モデル発売。ジッポーを使った初の他社製テーブル・ライター「ローズアート・モデル」を発売。
|
1960年 |
通算製造個数「1億個」を達成。6フィートの「スチール製巻尺」から製品多様化を開始。
|
1965年 |
英国での販売を開始。Zippoのオイル製造プラントがブラッドフォードで操業開始。
ユニークな塹壕(ざんごう)アート「ベトナム・ジッポー」が登場する。 |
1967年 |
1967年後期から、パテント・ナンバー表示が、ボトム刻印から消える。そしてZippo史上"最も美しいモデル"と言われる、タウン&カントリーの製造が1967年に惜しくも生産中止。(製造には多くの手間と時間、そしてコストがかかる為)
|
1968年 |
日本の代理店との販売契約締結。
|
1969年 |
1969年7月20日、人類初のアポロ11号によるNASAの偉業を記念した「月面着陸記念ジッポー」を発売。この記念ジッポーで"タウン&カントリー”が一時的に復活する。
|
1972年 |
創業40周年記念モデル発売。
このモデルにはブレイズデルの感謝のメッセージが刻まれている。 |
1974年 |
この年から、スラッシュを用いた「製造年刻印」を採用。
|
1978年 |
10月3日、創業者「ジョージ・グラント・ブレイズデル」が、米フロリダ州マイアミで逝去。(享年83歳)オーナーに娘二人が就任。(ハリエット・ウィックとサラ・ドーン)
|
1979年 |
2代目社長に「ROBERT.D.GALEY」が就任。後に有名なエピソードとなる、耐風テストの敢行、風速14.2mの耐風性を実証。(Zippoのセールスマンたちは、客先を訪れ実際に扇風機を回して火をつけ、この手法が各地で繰り返され、Zippoの耐風性が全米に広く知れ渡ることになる)。修理専門の「ジッポー・サーヴィス」が日本にオープン。
※ジッポー・サーヴィス 〒491-0376 愛知県一宮市萩原町串作字水絶36番 |
1980年 |
炎の形をあしらった新ロゴマークをボトムに採用。1970年代後半に考案されたこのロゴは、若干の変更を加えつつも今日に継承されている。
|
1982年 |
創業50周年記念モデル「1932-1982 50th Anniversary COMMEMORATIVE」を発売。(映画 ゛ET ” が封切りとなり、大ヒットを記録する)
|
1983年 |
1983年フラット・ボトムが「日本国内」向けに生産される。このフラット・ボトムの「ボトム刻印」が、逆スラッシュからローマ数字に変わる1986年6月迄の短期間だけに、大きいスラッシュのイヤリーコード(通称"デカスラ")が刻印され、プレーン(無地)のキャンド・ボトムは1983年以降は国内未販売品となる。
また、この年から1991年までの間、フラット・ボトムには、筆記体のZIPPOロゴが採用され「ボトム」に刻印されています。 |
1985年 |
ガスライター「CONTEMPO」を発売。
|
1986年 |
3代目社長に「MICHAEL.A.SCHULER」が就任。ボトム・コードを、それまでのスラッシュを用いたものから、アルファベットとローマ数字による表記に変更。前者は製造月を、後者は製造年を表す。(迷彩柄モデルを発売)
|
1987年 |
O.T.L.S(ON THE LIGHTER SIDE:1983年設立 ) 、第1回コンヴェンション、ダラス/テキサスで開催。
|
1988年 |
通算製造個数「2億個」を達成。
ファースト・モデル復版版 “1932 REPLICA” を発売。 |
1992年 |
ZIPPO社のコレクターを標的としたマーケット戦略のもと、⾮常に⼿間を掛けた「リアルなレプリカ」として⼤きな期待と共に1988年に登場した “1932REPLICA” の存在は、ZIPPOを「単なる道具としてのライター」から「魅⼒溢れるコレクションアイテム」へ昇華させたという功績も評価出来る⼀⽅、相当⼿間を掛けてその「外⾒」を創業当初の⽣産モデルにかなり寄せたものの、インサートやヒンジまでをこのモデル専⽤に再設計するまでには及ばず(桁違いのコストが掛かることは明⽩)、「苦⾁の策」として ①インサートを挿⼊した際に⾼さが丁度収まるようケース内に⾼さ調整⽤の「樹脂製上げ底」を組込む ②デフォルトの「内 5ヒンジ」を当時の「外ヒンジ」のように擬似的に⾒せるため「外ヒンジ⾵プレート」をケース外⾯のヒンジバレル上下部分に貼付する、という⼿法が取られたのである。これらは「雰囲気重視」といった観点においては確かに有効だったが、厳しく⾔うと、あくまでも「なんちゃって」の領域であり「筐体のブラスチューブ構造をせっかく復刻したのに何か中途半端で勿体無い」といった意⾒が当時のコアファンから出たことも確かだった。コアなファンたちからは「中途半端な復刻」と⾔われ、⼀般のユーザーからは「使いづらい」と⾔われ、その⼤きな期待とは裏腹に「失敗作」の烙印を押されてしまった “1932 REPLICA” は、登場から4年⽬の1992年には製造/販売の中⽌が決定される。そして1992年当時「ディスカウントショップ」の店頭などでは余剰在庫の “1932 REPLICA ” が定価の半分以下の3.000円程度で投げ売りされていた。またそれだけではなく⽇本市場内においては、余剰在庫分の “1932 REPLICA ” をより売り易くすることを⽬的とした「⾓を丸める」独⾃の再加⼯を施し、“1992 NOUVEAU” という珍奇なネーミングのもと再リリースしたのである。全くもって⽪⾁な話であるが、後に海外コレクターたちの間で、この “1992 NOUVEAU” が⼤きな話題となり相当な⾼値で取引されていたという事実を敢えてここに記しておく。(コメントは、FEEF Newsletter #52より、転記させて頂きました)
|
1992年 |
本社ビルをリニューアル。創業60周年記念モデル発売。
|
1993年 |
19世紀末創業の米ナイフ・メーカー「ケース社」を傘下に収める。
|
1994年 |
「最高に優雅な時間にふさわしい、洗練されたデザインの領域へ、、、Zippoの、光り輝く船出」と、カタログで謳われた ″トレド・コレクション”を発売。
|
1995年 |
第1回ジッポー/ケース・インターナショナル・スワップミートを開催。
|
1996年 |
通算製造個数「3億個」を達成。
|
1997年 |
Zippo/CACE ビジターセンター開館。
|
1997年 |
創業65周年記念モデル発売。
|
1997年 |
市場での⼈気薄が原因となって、1992年に製造/販売中⽌となった “1932 REPLICA” が、しばらく経過して市場から⾒かける姿が少なくなってきたことにシンクロするように「徐々に値段が上がり始めていく」現象が⾒られ始める。この当時にはまだインターネット環境は⼀般的に存在していなかったが、それでも⼝コミなのか何であったのか、「値段が上がり始めていく」動きが確かに出現し始めたのである。その状況は年を追うごとに熱を帯び、遂には製品再発を望む声が ZIPPO社に届き始めるようになる。これは当時、世界的な盛上りを⾒せ始めていた「ZIPPO ブーム」が背景にあったこともあるが、コレクターの存在が急増する中で「まだ買っていない」「まだ持っていない」といった新規層の⼈々が増えたことが原因であったのではないかと推測している。そんな状況の中で、当時「コレクター重視」のマーケット戦略を取っていたZIPPO社は、当然の如く “1932 REPLICA” の再発を視野に⼊れ始め、創業65周年を迎える 1997年に “1932 REPLICA 2nd RELEASE”として本当に「再発モデル」を世に送り出したのである。(コメントは、FEEF Newsletter #52より、転記させて頂きました)
|
1998年 |
“1932 REPLICA 2nd RELEASE”モデルがリリースされた直後の1997年に「ZIPPO社三代⽬社⻑の M.シューラー」が、オフィシャルな声明として「ZIPPO 社最初の⾃社⽣産ライターのリリースは、1932年(創業年)からではなく翌1933年からであり、創業当初はオーストリア製ライターの輸⼊販売を⾏っていた」と発表したのである。これは社史関連の整理を進める中で発⾒された当時の資料によって判明した事実であり、この時点でそもそも “1932 REPLICA” という名称の意味合い⾃体が「間違った歴史認識の元のもの」ということになってしまったのである。そこで ZIPPO 社はすぐに対応を取った。翌 1998年に “1932 REPLICA 2nd RELEASE” のボトム刻印を改めた 、“1933REPLICA 1st RELEASE” を送り出したのである。このことが何を意味するかというと、“1932 REPLICA 2nd RELEASE” =「1997年の1年のみしか存在しなかった希少モデル」= 「⾼値化」という判り易い「法則」が再現されたということである。元々は決して⾼価なモデルではなかったのだが、1990年代末にかけてこれらのモデルが相当な⾼額で取引されていた事実を、敢えてここに記しておく。(コメントは、FEEF Newsletter #52より、転記させて頂きました)
|
1998年 |
第1回ジッポー東京・スワップミートを開催。(六本木ラフォーレ・ミュージアム)
|
2000年 |
2000年特別ボトム刻印(2000 XVI)。せり上がり防止性能を高めた「新インサイド・ユニット」を採用。ミレミアム・モデル発売。
|
2001年 |
4代目社長に「GREGORY.W.BOOTH」が就任。製造年コードの刻印方式が変更。下2桁の記号(例:2001=01)になる。1941レプリカ・モデル発売。この年に今までのZippoと比べて、12gも軽くて・強くて・錆びない、タフなライター「ソリッド・チタン」を発売。(2003年製造終了)
|
2002年 |
創業70周年記念モデル発売。G.G.B 1941レプリカ ソリッドゴールド(18K) モデル、レギュラー・タイプの1.5倍の厚みがあるアーマー・モデル、多用途向けガスライターMPL(マルチ パーパス ライター)を発売。この年に、カナダ工場が閉鎖。またジッポー社はアメリカ国内に於いて、偽物ライターからブランドを守る為「図形商標登録」を行いました。
|
2003年 |
通算製造個数「4億個」を達成。
|
2005年 |
ガスライター「Blu」を発売。
|
2007年 |
創業75周年記念モデル発売。
|
2008年 |
リッド・トップにも、刻印が施された「ボトムズアップ」モデル発売。
|
2009年 |
ジッポー社は、天然資源の消費や環境保護の為「Zippo」のプラステック製パッケージをすべて、再生ボール紙の箱にリプレースした。中の型紙を入れ替えることで、スリムタイプにも対応、故に箱は゛ワンボックス”と呼ばれている。
|
2010年 |
初の「フレグランス」を発売。
1913年創業の米ライター・メーカー「ロンソン」のブランドを傘下に収める。 |
2012年 |
6月5日、Zippoの通算製造個数「5億個」を達成。創業80週年、創業者ジョージ・ブレイズデルの誕生日、そして生産5億個を祝うため、この日「ペンシルバニア州ブラッドフォード」のZippo本社では、大々的な式典が開催された。
|
2013年 |
我が国で初めてライター・コレクターが主導するクラブ「Far East Eternal Flame」=「極東の消えない炎」設立。(2013年5月15日)
|
2015年 |
デアゴスティーニ・ジャパンから、ジッポーコレクション NO.1(創刊号)が発売される。
|
2018年 |
2018年12月5日、Zippoライターの「音」が米国で音商標を取得したことを発表した。登録されたのは「開閉音」および「着火音」。
|
現在 |
オーナー及び取締役会長は、創業者「GEORGE.G.BLAISDELL」の孫である「GEORGE.B.DUKE」。5代目社長(CEO)には「MARK.A.PAUP」が2016年に就任。長い歴史と世界的な普及率から「オイルライター=ジッポー」と云う認識、、、またZippoライターのシンプルな構造と耐風性、そしてケースには様々なデザインのバリエーションがあり、世界各国に収集家が存在する。創業当初から謳われてきた、Zippoライターの「永年保証」は現在でも続けられている。
|