ZIPPO STORY


ジッポーが生まれたのは、アメリカ全体が苦しみ、もがいている時期だった。1929年のニューヨークでの株式市場の異常に端を発した世界大恐慌のあおりを受け、空前の大不景気。こうした状況の中、1932年に美しい森に囲まれたペンシルバニア州ブラッドフォードの町でジッポーは産声をあげた。
開発者の名前はジョージ・グランド・ブレイズデル。パーティー会場で友人がオーストリア製の扱いづらいオイルライターを使っているのを見たのがきっかけだった。ブレイズデルのひやかしに、友人が「It Works:火がつけばいいんだよ」と返した。その言葉に、ブレイズデルは強い衝撃を受ける。そして「安いうえに性能がよく、丈夫で長持ちするライターは商売になる」と考え、すぐさまライター会社の独占販売権を獲得する。
しかし、彼はこのライターに物足りなさを感じ、得意にしていた製造技術を活かして、新しいライター作りに取りかかりはじめた。設備の整わない自動車工場での製作だったが、情熱を注ぎこみ日夜ライター作りに励んだ。こうして、角張った長方形のスタイル、そして片手で着火が可能なライターが完成した。そのライターの名は「ジッポー」。同じペンシルバニア州で発明された「ジッパー」の音の響きを気に入っていたため、これをもじったのだ。ブレイズデルは会心の出来栄えに「自分が生きている間、このライターは変わらないだろう」と力強く断言した。